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大阪高等裁判所 昭和26年(う)1004号 判決

控訴人 被告人 坂本武

弁護人 稻田喜代治

検察官 折田信長関与

主文

原判決を破棄する。

被告人を懲役六月及び罰金五千円に処する。

本裁判確定の日から三年間右懲役刑の執行を猶予する。

右罰金を完納することができないときは金百円を一日に換算した期間被告人を労役場にて留置する。

押収にかかる証第七号、(よき一)証第八号、(肉捌庖丁一)証第九号、(牛骨引鋸一)はいずれも之を没収する。

原審における訴訟費用中その五分の四を被告人の負担とする。

原判決中の判示第一の(二)、第二の(二)及び第三の(一)(二)の各(1) の事実について被告人は無罪。

理由

本件控訴理由は末尾添付の控訴趣意書の通りである。(但し第一の(イ)を除く)

第一の(ロ)について。

弁護人は、原判決は第一及び第二の事実の各(二)において被告人がいずれも屠畜検査員の生体検査も屠殺後の検査も受けて居らず、その屠肉には右検査印の検印も受けていないのであるから、病原微生物により汚染され又はその疑充分で人の健康を害う虞あるにも拘らず、更に販売し又は販売の用に供するため各屠肉よりいずれも食品である馬肉又は牛肉を採取した事実を認定し、食品衛生法第四条第三号第三十条を適用処断しているが右は法の解釈を誤つたものであると主張する。

よつて該当法令を調査するに食品衛生法第四条第三号違反の罪に該当するためには、食品として販売し又は販売の用に供する目的で(一)病原微生物により汚染され、又は(二)その疑があつて、人の健康を害う虞がある屠肉から牛肉馬肉等を採取することを要件とする。しかして、右条文で「汚染され」といつておるのは、現実に汚染されている事実の証明ができる場合を指称し、「その疑があり」といつておるのは、現実に汚染されている事実は証明できないが、汚染されている疑あることの証明ができる場合を指称しているものであることは文理上明白である。いいかえれば後者の場合は汚染される可能性を指称しているのでなくて、汚染されている蓋然性の認められる場合を指称しているものと解すべきである。しかるに、原判決は被告人が屠畜検査員の生体検査屠殺後の検査を受けていない事実と屠肉に検印のない事実の存在だけで、右要件を具備したものと説示しているのであるが、かような事実の存在だけでは汚染される可能性はあるかも知れないが、汚染されている疑まで生じる程度の具体的事情が認められないので、被告人に対し同条違反の責任を問うわけにいかない。記録を精査しても左様な具体的事情は発見されないから、原判決は法令の解釈を誤り且つ事実を誤認しているものとして破棄を免れない。

第一の(ハ)について。

弁護人は、原判決は第三の二でへい牛より牛肉を採取した事実を認定し、食品衛生法第五条第三十条を適用処断したか、本件の牛は全て省令を以て定める疾病で死んだものではないから同法第五条に該当しないと主張する。

しかし、食品衛生法第五条によれば食品として販売し又は販売の用に供するため採取してはならない獣畜の肉というのは(一)省令を以て定める疾病にかかつている獣畜、若しくは(二)その疑がある獣畜又は(三)へい死した獣畜の肉であつて、ここにへい死した獣畜というのは屠殺したものを除き全ての死んだ獣畜を指し、その死因は右(一)の疾病に限られないものであると解すべきである。このことは、「省令を以て定める」という字句が「又は」よりも前段の部分にだけ関係するものであることが、法文の一般の用語例上明白なことであるのみならず、同条但書でへい死した獣畜についてだけ、その肉、骨及び臓器であつて、当該吏員が人の健康を害う虞がなく飲食に適すると認めたものは此の限りではないと規定し、同法施行規則第二条第二項が右当該吏員が人の健康を害う虞がなく飲食に適すると認める場合は健康な獣畜が不慮の災害により即死した場合とすると定めているところからも、右の文理解釈の正しいことを理解することができる。所論は誤解に基くものである。

弁護人は、原判決は第三の(一)(二)の各(1) をへい牛と認定し夫々該当法条を適用処断したが、右は所有者鳥淵茂平が屠殺したものであるから、事実を誤認し法令の解釈適用を誤つたものであると主張する。

よつて記録を調査するに、原判決挙示の司法巡査に対する鳥淵茂平の第一回供述調書によれば、本件の牛はへい牛ではなくて同人が屠殺したものであることが明らかである。従つて原判決第三の(一)(二)の各(1) が之をへい牛と認定して、夫々該当法条を適用処断したのは事実を誤認したものであり、且つ法令の適用を誤つたものであるといわねばならない。この点についても原判決は破棄を免れない。

第三点について。(原判決第一の(二)の(1) 第二の(二)の(1) (2) に関する主張については論旨第一の(ロ)に説示した通りである。)弁護人は原判決は第一の(一)の(1) 第二の(一)の(1) (2) で被告人が法定の除外事由なく病馬生牛を屠殺解体した事実を認定したが事実の誤認である。被告人は原審第二回公判でいずれも正規の手続を経て屠殺解体したと供述しており、原審証人前地菊松も同趣旨の供述をしておるので原審証人中西裕の証言は措信できないと主張する。

しかし、原判決認定の右事実はその掲げる原審証人中西裕の証言と被告人に対する検察事務官の各供述調書を綜合すれば充分に認められ、記録を精査しても少しも事実誤認の疑はない。右中西の証言が特に措信できないというような事情も発見されない。原審証人前地菊松は元被告人に雇われていた者で当時の出来事について被告人の面前でした証言であるから、たとえ所論のように被告人に利益な供述があつたとしてもたやすく措信できないし、他に被告人の弁解を採用するに足る証拠もない。論旨は採用できない。しかし、原判決は右論旨第一の(ロ)(ハ)で説明した理由で破棄を免れないのであるが、当審で直ちに判決できるものと認め刑事訴訟法第三百九十七条第四百条但書を適用して次の通り判決する。

原判決確定の第一の(一)、第二の(一)、第三の(一)の(2) 乃至(10)、(二)の(2) (7) (9) の事実を原判決挙示の証拠によつて之を認め、第一の(一)は各屠場法第三条第十三条刑法第六十条に、第二の(一)は各屠場法第三条第十三条に各該当し、第三の(一)の(2) 乃至(10)は各昭和二十三年法律第百四十号へい獣処理場等に関する法律第二条第九条第一号に、第三の二の(2) (7) (9) は各食品衛生法第五条第三十条に各該当するところ、右第三の(一)(二)の(2) (7) (9) は夫々手段結果の関係にあるから刑法第五十四条第一項後段第十条により其の最も重い食品衛生法違反の罪の刑を以て処断すべであるが、以上は刑法第四十五条前段の併合罪であるから右第一の(一)第二の(一)及び第三の(二)(2) (7) (9) については各所定刑中懲役刑を選択し、同法第四十七条本文第十条に則り最も重い右第三の(二)の(9) の食品衛生法違反の罪の刑に法定の加重をなし、右第三の(一)の(3) 乃至(6) (8) (10)については各所定刑中罰金刑を選択し、同法第四十八条第二項罰金等臨時措置法第四条第一項を適用し、その合算額の範囲内で処断すべきものとし、刑法第四十八条第一項により被告人を主文の懲役及び罰金に処し、情状に因り刑法第二十五条を適用して三年間右懲役刑の執行を猶予し換刑処分については同法第十八条、没収については同法第十九条、訴訟費用の負担については刑事訴訟法第百八十一条第一項を適用する。

なお原判決確定の事実中第一の(二)、第二の(二)及び第三の(一)(二)の各(1) については次の通り判決する。すらわち被告人は、

(一)田本重吉と共謀の上原判決別紙第一犯罪事実一覧表の(1) 及び(2) の通り法定の屠場以外の場所で屠殺解体したる獣畜で、いずれも屠畜検査員の生体検査も屠殺後の検査も受けて居らず、その屠肉には右検査員の検印も受けて居ないのであるから病原微生物により汚染され又はその疑充分で人の健康を害う虞あるにも拘らず、更に販売し又は販売の用に供するため、右屠肉からいずれも食品である馬肉又は牛肉を採取し、

(二)単独で原判決別紙第二犯罪事実一覧表の(1) 乃至(5) の通り、更に販売し又は販売の用に供するため屠殺解体したる屠肉は病原微生物により汚染され又はその疑充分で人の健康を害う虞あるにも拘らず、その屠肉より食品である牛肉を採取し、

(三)単独で昭和二十五年六月頃田辺市栄町坂本愛之助方で法定の除外事由なく鳥淵茂平から買受けたへい牛を県知事の許可を受けたへい獣処理場以外の場所で解体し、次いで法定の除外事由なく食品として販売し又は販売の用に供するため、右へい牛から牛肉を採取したものである、

との公訴事実については、犯罪の証明がないから刑事訴訟法第三百三十六条後段により主文末項の通り無罪の言渡をする。

(裁判長判事 斎藤朔郎 判事 松本圭三 判事 網田覚一)

被告人坂本武の弁護人稲田喜代治の控訴趣意

第一、原判決には次の様な判決に影響を及ぼすことが明かな法令の解釈適用を誤つた違法がある。

(ロ)原判決は第一の(二)の(1) 及(2) 第二の(二)の(1) 乃至(5) として認定した事実について「何れも屠畜検査員の生体検査も屠殺後の検査も受けて居らずその屠肉には右検査員の検印も受けて居ないのであるから」「病原微生物により汚染され又はその疑充分で人の健康を害う虞あるにも拘らず云々」と認定し食品衛生法第四条第一項第三号第三十条に該当するものと断定している。即ち「屠畜検査員の生体検査屠殺後の検査を受けて居ないこと」が直ちに「病原微生物により汚染され又はその疑充分であり」そのことが又「人の健康を害う虞あること」になると判断しているのであつて誤れるも甚だしと謂わねばならない。

食品衛生法第四条第一項第三号には「病原微生物により汚染され又は其の疑あり人の健康を害う虞があるもの」と規定しているのであつて同法第五条の如く「若くは」で結び「又は」でつづけている規定と比較対象するとき前述第三号には「病原微生物によつて汚染されている具体的事実があるか又は其の疑ありと認むるに足る具体的事情があつてしかもその事実なり事情が人の健康を害う虞があることが証明されて始めて同法の違反ありと謂い得るのである。然るに原判決に於ては「屠畜検査員の検査を受けて居ない」事実のみをもつて直ちに本条に違反するものと断定しているのであつて明かに法令の解釈を誤つている。しかも本件に於ては「病原微生物により汚染され」ている事実の証明も「其の疑ある」事情の証明もなされていないのみならず「その汚染又はその疑」が「人の健康を害う虞のある病原微生物によるものである事実」の証拠の一として見るべきものがないのに有罪としたことは甚だしい過誤である。

試みに本件有罪認定を受けた牛馬の死因を見ると何れも屠殺であつて第一の(二)の(2) 第二の(二)の(1) 及(2) の牛は健康牛であつたことは疾病にかかつていた事実の証拠のなき以上自明の理というべきである。又第二の(二)の(3) は骨折牛を切迫屠殺したものであるから疾病牛ではない第一の(二)の(1) の馬は疝痛(腹痛の俗称であることは鑑定人松岡の供述により明白)其の他は何れも流行性感冒の牛であつたのを切迫屠殺したものである。健康牛は勿論これらの諸病の獣体の肉は食用に供することを禁ぜられていないものであることは同法施行規則別表第一の二号により明かである。この事実から見て前述諸症は「人の健康を害う虞ある病原微生物」とは謂い得ないものと言わねばならない。いわんや前述健康牛及骨折牛に至つては何等法規に違反するものではない。このことは同法施行規則第二条第二項に「当該吏員が人の健康を害う虞がなく飲食に適すると認めた場合は健康な獣畜が不慮の災害により即死したときとする」との規定趣旨から見ても又鑑定人松岡三郎の供述により「健康牛を屠合には内部は勿論外部より病菌が附着し又は汚染される虞がなく無菌であると言い得る」のであるか殺した場ら少くとも健康牛及骨折牛に関する限り明らかに違法でないと謂うべきである。仮りに原判決の如く本件の如きものを有罪と見るに於ては殆んど総ての鳥獣魚の食品は食用に供し得ないものと謂うべくこの一事をもつてしても原判決の誤の甚だしいことを推知し得るであろう。

(ハ)原判決は第三の(二)の(1) (2) (7) (9) の事実について「法定の除外事由なきに拘らずへい牛より食品である牛肉を採取した」と認定しこれに食品衛生法第五条第三十条を適用して有罪と認めているのであるが同法第五条には「省令を以て定める疾病云々」と規定されその省令は同法施行規則第二条による別表第一の二号として供食禁止の諸症をあげているが認定された事実の(1) は過労であり(2) は胃腸病(7) (9) は流行性感冒であつて何れも法定諸症の中には含まれていない。従つて本件を右法条に該当するものと認めた原判決は法令の解釈適用を誤つているものである。尤も同条には「へい死した獣畜の肉」とあるがこの「へい死」の原因亦省令を以て定める疾病に基因するものであつて始めて違法となると解すべきものと思料するから何れの点よりしても本件は有罪たるべきものではない。仮りに「へい死」は省令を以て定める疾病に限定されず総て「死んだ牛」を指称すると解されるものとしても第三の(二)の(1) の事実は鳥淵茂平に対する司法警察員作成供述調書中に「前田獣医に診て貰い疲労だと云うので注射して貰い死なしては金にならぬと聞いて居たので自分で殺し云々」との供述記載により明かなように鳥淵が屠殺したものであるから「へい牛」と見るべきでない。従つて前項(ロ)の諸症の馬牛を屠殺し肉を採取した場合と同一に論ずべきもので前項と同一理由により有罪と認定された原判決は法令の解釈を誤り適用した違法があるというべきである。

第三、原判決には判決に影響を及ぼすこと明白なる事実の誤認がある。 被告人は原審第二回公判に於て「馬頭幸太の馬、古野米太郎及坂口弥三郎の牛(原判決認定第一の(一)(二)の(1) 第二の(一)(二)の(1) 及(2) の事実に該当する)は何れも屠場で解体したもので屠畜検査員の検査を受けて居り保健所の帳簿に記載されていませんが仕入帳に記載されていて多分保健所の記載もれと思う」旨供述していることは公判調書の記載により明かである。然るに原判決はこれらの事実をも有罪と認定していることは事実の誤認である。原判決はこの事実については被告人の仕入帳に記載されているが屠畜検査簿に記載なきこと証人中西裕の証言により事実を認定したものと思料される。証人中西裕は「検査簿の記載もれは事実上あり得ない」かの如き供述をしているのであるがこの様な事は絶対的なものではない。記載もれを認めることは結局自分の責任に関することであるから斯様な証言をすることは寧ろあり得ることであつて同情に値することではあるが証言の信憑力は争はるべき性質のものである。却つて証人前地菊松の供述によると「古野米太郎、坂口弥三郎の牛は何れも健康牛であり二、三日飼育した上で自分が屠場へ引いて行き正規の手続をして屠殺解体採肉したもの、馬頭幸太の馬は切迫屠殺したものを屠場に持つて行き中西さんも来て貰つて解体したものである」ことが明かにされている。しかもこれらの牛馬は被告人の仕入帳に記載されて居ることは右の証言を裏書して余りある。この帳簿の記載は動かぬ物的証拠であることと多数事実中の一部について被告人が強いて争はんとする心情を汲むとき故なき否認ではないことを首肯される。かかる歴然たる証拠を排斥し自己の過失をおおわんとするかの如く見ゆる中西証人の証言をとつて事実認定の資料とした原判決は事実誤認の過誤をおかしているものと云うべくこの三ケの事実については無罪の認定を受くべき事案であると信ずる。

(その他の控訴趣意は省略する。)

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